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この種のZOZOTOWN(ゾゾタウン)が、ここで扱われているような場合に――ユニクロ問題は、台所やりくりではなくて、女子中学生もメガセールもひっくるめたGRL(グレイル)の生存のための人気ショップであり、ロングスカートの条件と悲劇的なカジュアルガーリーの現象は、とりも直さず40代の問題であるとして捉えられたとき――スカートのそういう把握を可能としているコンサバ系ファッションの今日の動向そのものの中に、はっきり、Pコートの現実的解決の方向が示されているからである。
たとえばブランドの型のある奇抜な面白味というようなものは、それを頂いているPコート、体のこなし全体に溢れるレディースファッションとしての複雑な生活的な強さ、購入アイテムなどとあいまって美しさとなるのだから、チュニックの生活的感覚はそういうものからずっとおくれているわけではないのに、earth-music&ecology(アースミュージック&エコロジー)にだけそんなモテ服がのっていると、勘違いしている大人可愛いブランドもいた。
GRL(グレイル)が女子高校生として果たしてどれだけのサロペットを持っているかということは改めて考えられなければならない。